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栁澤 啓太

身体障害者社長の生い立ち




1987年10月17日、私はこの世に生まれました。



母の話だと、生まれてから2時間後ぐらいにチアノーゼが出て、心臓の病気がある事が分かりました。

その時、母は自分を責めたらしく、死のうと考えた事もあったそうです。

それから、4回のオペを繰り返しました。


小学校に入学する時は、普通の学校に入学させるべきか、養護学校に入学させるべきか、両親は悩んでいたそうです。

でも、両親は普通の学校に入学させてくれました。

それから、ありがたい事に友達には恵まれて、比較的普通の学校生活を送れていましたが、マラソン大会に出れなかったり、ドクターストップがかかっていた時期もありました。


中学校に入学した頃から、強さとカッコよさを履き違え、少し道が逸れてしまった事もありました。

両親は、身体の弱い私を心配してくれていたけど、そんなことは何も考えずに母に暴言を吐いたりと、今思うと心配させている事ばかりでした。


そんな学生時代を過ごしてきた私は、高校を卒業した後はフリーターで、音楽をずっとやっていたので、

ギターを一本持って東京へ上京することを考えていた私。

その時に両親は、

「自分の人生だから好きにしなさい。」

と言ってくれました。


ただ、母は私に、

何か資格を一つ取ってから好きな事をやりなさい。」

と言いました。


病院生活も長かったので、医療・福祉の世界に興味があった私は、ヘルパー2級(今で言う所の初任者研修)の資格を取り、とある介護施設でアルバイトをしながら、週一回ボランディアで通っていました。


その時、その施設の師長に気に入られていたようで、

「明日からここに就職しろ。」

と言われ、特に何も考えていなかった私は、流れに身を任せて就職しました



ここから、私の人生が変わりはじめます。



半年ぐらいして、ある程度仕事に慣れてきた私が夜勤を任されるようになってきた頃、いつも車椅子を自室からホールまでゆっくりと押してくるおばあちゃんが居て、そのおばあちゃんはホールのソファーに座るのが日課でした。

私は朝出勤した時に、そのおばあちゃんに枕を持っていってあげるのが日課でした。

そのおばあちゃんが、私の夜勤明けの時に亡くなりました。


「何かもっと出来た事はなかったのか……。」


涙が出て、今まで生きてきた中で一番悔しい思いをしていたら、どんどんと涙が溢れてきました


その時に、

「もっと知識と技術を付けて、いつか自分で仲間を集めて会社を立ち上げ、この職業を一生やっていこう!!」

と思いました。


そんな頃、今の副社長の荒居くんとたまたまばったり出会い、(高校の時の同級生の)彼は、福祉の専門学校に通っていました。

今考えれば何故かわからないけど、彼を誘い看護学校に行きました。


看護学校で一学年上に居たのが、今の会社の専務取締役の西川くん

その一学年下に入学してきたのが、今の会社の常務取締役の田邉くん


看護師になった後も、みんなで遊んでいて意気投合していました。

その頃から、私はみんなに自分の夢を語るようになりました。

「俺はさ、もし車椅子のおばあちゃんが居て、山の頂上からの景色が見たいって言っていたら、それに向かって考えていけるような介護と看護がしたいんだよね。」

とか言っていました。


日に日に起業に対する想いが強くなり、29歳の夏に、仲間と一緒に富士山に登りました。

山登りってメチャクチャしんどくて、もう登りたくないけど、降りてきて感じた事は、

「結局、今登っても、来年登っても、10年後登っても、辛い道のりって一緒なんだな。」

っていう事でした。

その気持ちが強くて、頂上の景色をあんまり覚えていません(笑)


富士山から帰ってきた1週間後ぐらいに、3人を集めて起業しよう!!と話をしました。


「つらい事も・苦しい事も・楽しい事も・嬉しい事も、みんなで共有して最高の会社を作ろうぜ!!


と、そんな本気の気持ちの俺に、彼ら3人は、


「本気でやりましょう!!」


と言ってくれました。



それから2ヶ月後、30歳になった私は株式会社を立ち上げました。

翌年の3月から訪問介護事業、その年の6月から訪問看護事業、さらに翌年の3月からは便利屋清掃業を立ち上げた。

なんか今振り返って思うと、信じて突き進んでいけば、仲間って自然と集まってくるんだなと思った。今思うとね。

人って病気になると、100%ネガティブな気持ちになるし、死を考えるし、不安や苛立ちもあったりする。

俺も、若い頃は常にそうだったのかも知れない。

色んな人を傷つけたり、親の愛情も踏みにじっていたんだと思う。



でも、今は違う。



社会に出る時に、若い頃はマイナスだった病気の事が、プラスに転じたりする事がある。

つらい日々って、ずっと続くわけではない。

いつか必ず、人生って転機があると思うんだよね。



今は最高!!



やりたい事も出来て、やりたい事がたくさん見えてきたし、仲間もたくさん増えた。

これからは、仲間にも恩返しをしていきたい。

そして、仲間と一緒に、困っている人たちを一人でも多く笑顔にして行きたい。

それが、俺の生まれた意味であって、死にぞこないの病気で生まれた私を、救ってくれた事に対する、

俺の恩返し。









(※株式会社つばさでは、現在スタッフを募集しております。お気軽にご連絡いただけますと幸いです。)

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